最高裁判所第二小法廷 昭和55年(し)138号 決定 1980年11月18日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四三三条の抗告理由にあたらない。
なお、同法一七九条基づく押収の請求を却下する裁判は、同法四二九条一項二号にいう「押収に関する裁判」に含まれると解するのが相当であるから、これと異り、右却下の裁判が「押収に関する裁判」に含まれないとした原決定は、同号の解釈を誤つたものというべきであるが、記録を検討しても、申立人が押収を求める物件については、その検証の必要性があるかどうかは別として、これを押収するのでなければ証拠保全の目的を達することができないとまでは認められないから、本件押収請求却下の裁判に対する準抗告を棄却した原決定は、その結論において正当である。
よつて、同法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(宮崎梧一 栗本一夫 塚本重頼 鹽野宜慶)
〔特別抗告申立書〕
一 申立の趣旨
原裁判を取り消す
安田尚所有に係るオートバイ(青―ま―六四一四)について、
名古屋市中区栄二丁目九番五号大栄ビル八階
株式会社東貴
名古屋支店長 梶原政春
に対し、提出を命じ、右オートバイを押収する。
旨の裁判を求める。
二 申立の理由
(一) 本件は、昭和五五年九月一八日検察官より、被告人が交差点を右折する際、前方不注視の過失によりそのまま右折し、前記安田尚所有のオートバイに衝突させ、よつて同人に傷害を与えたとして起訴され、同年九月一九日付で名古屋簡易裁判所にて二〇万円の罰金の略式命令が言い渡され(送達同月二四日)、同年一〇月三日付で被告人(弁護人)より正式裁判の請求がなされ、今日に至つているものである(第一回公判はまだ決つていない。)。
そして、本事件の争点としては、検察官の主張は右のとおり被告人車輛があやまつて右折し、よつて被害車輛に衝突させたというものであるに対し、真実は、被告人車輛は右折のため交差点の中央付近で停車していたところ、信号、制限速度をいずれも無視した被害車輛が被告人車輛に衝突してきたから被告人は無過失であるというものである。
従つて、双方の車輛の位置、速度等が公判での争点となることは明らかである。
(二) そこで、右の点を明らかにするためには、衝突した車輛についてその変型、摩耗、剥離等の程度を科学的に分析することにより、衝突時の状態が相当程度客観的に判明するのに対して、被害車輛が修理、又は処分されてはその分析が不可能になるので、昭和五五年一〇月六日付で弁護人は名古屋簡易裁判所に対して前記被害車輛(オートバイ)の押収と、その手段として管理者に対する提出命令を証拠保全手続によつて求めた。
ところが同月八日名古屋簡易裁判所は、右申立に対して、証拠保全の必要性がないとして申立を却下したため、同月九日付で弁護人は右却下命令に対して名古屋地方裁判所に準抗告を申し立てたところ、右裁判所は、押収を求める証拠保全の申立に対する却下命令については、準抗告を申し立てることは出来ないとして同月一五日付で準抗告申立を却下する決定をした(送達は同月二〇日。)
(三) 右事実経過から明らかなように、問題点は証拠保全手続によつて押収を求める申立を却下した命令に対し、準抗告を申し立て得るか否かであり、刑事訴訟法第四二九条第一項第二号に言う押収に関する裁判には証拠保全によつて押収を求める場合も含まれるか否かという法律解釈の問題である。
従つて、直接的には特別抗告事由として法定されている憲法違反、判例違反の問題ではないが、別記特別抗告受理の申立書にも記載するとおり、本件は法律解釈上重要な問題を含み、又証拠保全に対する判例も少ない点から見て、貴庁におかれて職権で判断すべき事項を含んでいると思料するので、あえて特別抗告を申し立てる次第である。
(四) 原裁判は明らかに法律の解釈を誤つており、その誤りは主文に直接影響することは明らかである。
すなわち、前記法のいう押収に関する裁判とは、押収する旨の裁判のみならず、押収しない旨の裁判も含むことが明らかである。
前同条一項一号、三号、四号等においては、「申立を却下する裁判」「留置を命ずる裁判」「賠償を命ずる裁判」とあつて、これらは一定方向での処分についてのみ不服を申し立て得ることが明示されている。これはこれらの一定方向での処分が不利益である反面、他方向での裁判はそれ程不利益をもたらさないと考えられたからこそ、右のごとき規定のし方になつているのである。
これに対して、同二号は、勾留、保釈、押収又は押収物の還付に関する裁判と規定し、請求が認められた場合であると、それが却下された場合とを区別していない。実際にも、勾留請求の却下、還付請求の却下等に対して準抗告が申し立てられ、それが認容されていることは言うまでもないところである。
さらに同号は、直接に勾留等を命じ、又はその請求を却下する場合だけではなく、それに付随する手続について不服のあるときは準抗告の対象となることを明らかにする趣旨で、「関する」という文言を挿入している。
勾留理由開示の請求の却下は、勾留そのものの裁判ではないが、勾留に関する裁判であるので準抗告の対象とされているのである(最決昭四六・六・一四刑集二五―五六五)。
以上の点から見て、同号にいう押収に関する裁判とは、押収を命じる旨の裁判のみならず、押収を命じない旨の裁判、さらにはそれに「関する」裁判も含まれるところ、本件の証拠保全手続によつて押収を求める旨の申立(前段階として物件の提出命令も加わつているが、これが実質において押収と同視すべき点は、御庁において二度の決定例―最決昭四四・九・一八決定、同一一・二六決定―によつて確認されているので付言しない)に対して、これを却下する旨の命令がこれにあたることは明白である。
(五) これに対して、原審は「押収に関する裁判」とは、押収する旨の裁判だけを指し、その逆は含まれないとし、さらにその前段階の証拠保全請求却下の裁判はこれに含まれないとしたものである。
ところで、右決定は前段階においては同号を押収する旨の裁判に限るとの説示をし(その誤りであることは前述したとおり)、後段においてそれに加えるような形で、証拠保全請求についての裁判は、その前段階の裁判に過ぎないからというような理由を付加しているので、この点について付言する。
右理由のいうところは、押収等を申し立てた証拠保全の申立について、押収をする又はしない旨の裁判の前段階として、証拠保全をする又はしない旨の独立した裁判があり、これは押収をする又はしない旨の裁判とは別のものであるという理論をとつているようである。
しかし、これは法条の規定をはなれた、極めて観念的な考え方である。
法第一七九条第一項は、「〜事情のあるときは、〜裁判官に押収、……の処分を請求することができる」と規定しているのであつて、この手続によつて押収を求める場合は、押収についての裁判は即証拠保全の裁判であり、押収の処分を請求することが即証拠保全の請求なのである。押収に関する裁判以外に独立した証拠保全命令というものが存在しないことは、同項の規定からも明らかである(これは、捜査機関が押収等を求める場合を考えれば、容易にこの関係が理解されよう。)。
民事訴訟法の場合、証拠保全の決定とこれに基づく証拠調の決定は分離して考えることができるが(同法第三四三条〜第三五一条)、これは民事訴訟においては証拠保全に基づく証拠調は直接本来の裁判における証拠調と一体をなす構成をとつている(第三五一条)からであつて、当事者の事前の公判準備手続として規定されている刑事訴訟における証拠保全手続によつて得た証拠が刑事訴訟法第三二一条第一項第一号等によつて新たに証拠として取調べられることとの相違に思い至らなかつたものである(しかも民事訴訟手続についても、申立を却下する裁判については、抗告が可能である)。
右のごとく、理論面からはもとより、実際を考えれば右の二段階分離の考え方は一層不合理であることは明白である。
押収しない旨の裁判についても勾留しない旨の裁判と同様準抗告の対象となることは前記したとおりであるが、押収しない旨の裁判であれば準抗告の対象となるが証拠保全を却下する裁判については準抗告が申し立てられないというのであれば、その矛盾は言うまでもないであろう。
押収の必要性と、証拠保全の必要性が全く別の問題であれば別論、押収を求める証拠保全の必要性の判断は、その時点において押収の必要性があるか否かを判断することに他ならない筈である。
特定の物件の押収ということを離れて、まず第一段階で一般的に証拠を保全すべきか否かの裁判が先行し、それについて肯定された場合、次にその物件の押収の必要性について判断されるという二重構造は事柄の性質上とり得ない筈である。
しかも、右のごとき二段階分離の考え方によれば、命令の主文が、「押収を求める申立は却下する」旨の主文であれば準抗告の対象となるが「証拠保全の請求は却下する」旨の主文であればその対象とはならないという裁判官の書き方一つで救済の有無が変るという不合理な結論にならざるを得ない。
原審の法律解釈は、いかなる点からも誤まりであることは明白であり、この誤りは主文に直接影響することは明白である。
しかも、仮に証拠保全の申立を却下する決定は押収の申立を却下する命令とは別異に観念することができるとしても、前記したように同条一項二号は押収の処分以外にもこれらに「関する」処分をも対象としており、これに証拠保全の申立を却下する裁判が含まれることは明らかである。
(六) 原裁判を破棄しなければ著しく正義に反する。
本件は、はじめに述べたとおり被告の過失の有無が争点となるが、その決め手は両車輛の位置、速度等が最も重要な基礎となる。
しかし、原審で疎明したように、この点についての客観的証拠は現段階では右物件以外存在しない。
これに対して、被害者とされた者は、ほぼ検察官主張にそう供述をし、被告人に責任を転稼している。
そこで、本件の押収がなされず、その間に対象となる証拠物件が修理、又は処分されてしまえば、被告人の反証の機会は著しく制約され、有罪の危険性も高い。
ところで、通常の証拠調の場合であれば、取調べてはならないものを証拠とし、あるいはその逆に取調べるべきものを取調べしなければ、それが判決に影響する限り、上訴理由として救済の機会があたえられる。
ところが、保全すべきものを保全しなかつた場合、そのことによつて提出できる証拠が提出出来なかつたとすれば、一体どのように被告人は救済されるのであろうか。
「その点については被告人の主張を真実とみなす」という規定でもあれば別論、それがない現行法のもとでは、その不利益はその原因を問わず有利な証拠を提出できえなかつた被告人に帰せられることになり、これが正義に反することは明白である。
以上